30年以上昔、紙一重の叔父が国鉄時代に関西方面のとあるターミナル駅のダイヤグラムを作っていた。
手作業で電車の往来を把握しながら作るので、激務だったらしい。その激務に人格が壊れ、家族も捨ててフランスに逃亡したと聞いている。帰国後は関西方面で教授をしてたみたいだが、縁は無い。
子供の頃、「難しい事を話す煙たい叔父さん」と避けていた。でも、小5の頃にラジカセをくれたのを覚えている。最初は録音の仕方がよく分からず、テレビのスピーカーの前でマイクから録音してたっけ。
中学の頃は、そのラジカセから流れるオールナイトニッポンを聞きながらよく夜なべした。機械の分解は、そのラジカセが初めてだったし、修理と言う行為もそうだった。
満員電車に揺られて片道一時間の通勤。1分を争う殺気立った乗客でごったかえす駅。無理なダイヤグラムも組むのだろう。電鉄会社にも責任があろうが、社会にもあるはずだ。
今回の事故、正直、明日我が身に降り掛かってもおかしくない。