吉報

高校からの悪友markoに子供が生まれた 🙂
メールで吉報をもらい、夜中の2時に電話をした。
この友人、かの旧ユーゴスラビア、現スロヴェニア人だ。親父さんと二人でインドネシアに滞在していて、最初の年はいっつも一緒にいた。markoも暇にしてたし、ワシも家にいるよりか奴の家で自由にしてる方が好きだった。途中、お母さんと兄貴もインドネシアに来てからは、週末に居座るのは遠慮し、お互い遊ぶグループも変わって行った。

その高校も終わる休日に、彼の国が独立した。夜に電話がかかってきて、
「tsu、俺の国が独立したよ、明日パーティーするから来てくれ」
と興奮して話す彼に、「まぁまぁ」と、行く事を約束した。

翌日、花束とケーキを持参してドアをくぐると、全員沈痛な面持ち。
「どうしたんだい?」と聞くと、
「ユーゴスラビアが軍事介入した。戦争だ。兄貴は予備役兵だから駆り出されるかも」
と、がっくり肩を落としていた。

とにかくパーティーどころじゃないので、markoと親父さんのhubertに家まで車で送ってもらう。親父さんはユーゴ政府から派遣されているので、新しい国に帰るにも方法が分からないのだった。もちろん、給料も来月からは支払われないのだろう。

その時、日本では絶対と思っている「国」と言うものが、戦争でこうも簡単に揺らぐものだと体感した。メディア経由で知識としては知っていたけど、目の当たりにしたのは初めてだった。ワシの場合、自分のアイデンティティの最後のよりどころが国だもの、自分のアイデンティティが変わるなんてどれくらいの衝撃なのか想像できない。

ワシは翌週帰国してしまい、奴が無事帰国できたか分からないままだった。連絡先(とは言っても、’92年当時はインターネットなんか身の回りにないので郵便住所)をもらっていたので、手紙を出したが、一度も返事は返ってこなかった。調べるすべもなく、戦争の影響だろうと理解していた。結婚したときも、子供が生まれたときも「届いてくれ」と言う思いで、はがきを出し続けた。

7年の月日が経ち、ひょんなことから同僚のgucciさんから千田 善先生著の「ユーゴ紛争」を借りる。

ユーゴ紛争?多民族・モザイク国家の悲劇
千田 善

講談社 1993-10
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すると、そこにはmarkoの国スロヴェニアは戦いらしい戦闘もなかった事が書いてあった。

速攻、調査にかかる。
当時は、yahooくらいしか検索エンジンがなかったから、yahoo.comでmarkoのフルネームで検索した。スロヴェニアの名前は珍しいので、すぐに絞り込めた。3人いた。

全検索結果がスロヴェニア語なので、全く訳が分からないが、ドメインからどうやら首都リュブリヤナ大学の生徒、後の2人は忘れた。

この生徒にメールを出したところ、翌日にuser unknownで戻って来てしまった…

ひるまず大学のadminにメールをしてみると、このiztokなるadminがとても優しく、
「住所が分かれば、調べてやるよ」とのこと。

わらにもすがる思いで、お願いした。

2日後…
「ほら、これが今の電話番号だから。本人も、君からの連絡が来た事に喜んでたよ」と、メールが来た。
ありえん。
疑心暗鬼で夜中、会社から電話してみると、marko本人だった。
7年ぶりだったが、声は全然変わらない。

人々の優しさと、インターネットと言う技術の集合体によって、3日で7年間の心のしこりが消えた。

後で分かったんだが、markoからもらった住所はあっていたんだけど、すぐに引っ越したそうだ。転送設定はしてたんだけど、後の住人がなぜか受け取って、そのままになってたそうな。それじゃあ、転送じゃないだろうと思ったけど、そういう郵便事情なんだろぅ。

爾来、メール、電話で、インドネシアにいるときのように連絡を取り合ってる。
そんなmarkoに子供が生まれた。涙、涙である。
そして、千田先生、gucci、iztokに、感謝、感謝である。
フランスに行くのでニアミスだが、まだ実際には13年間会ってない。

’99年にインターネットの無限なる可能性を体感し、なんとか人間関係の高次なネットワークとして実現できないか妄想してみている。

まぁ、そんな妄想する前に、markoに会って来よう。

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