四谷に集結

今日は高校の頃の先生が来日するとのことで、四谷に集結。でも、考えてみたら…この先生の授業を持ったこと無かったかも。なんせ16年前なので、全然思い出せない。でも、授業取ったこと無いと確信に変わって来た。

会場のカフェには、それこそ、色んな人が、色んな世代から来てた。
Class of ’90~’04の、14年間に渡る目算40人近い卒業生達。
そのうち、知り合いは10名以下で、ほとんど交流の無かった女性達。
3人程よく知っている人達で、卒業以来の再会で楽しかった。
知り合いの男連中は、皆揃って「行かねぇ」と、つれない感じ。

なんとなく疲れたが、自分に発見があって少し戸惑った。
もう32歳で、それなりに社会人をやってるけど、仕事をして来ているのは同じ業界、同じ学会、同じ会社、外注さんの人達。それなりにコミュニケーションモデルも出来上がっていて、大抵の場合は仕事ベースで、問題解決型、興味共有型、労使関係のモデル。

ただ、今日の集まりは営業畑の人が多く、自分の経験に蓄積している会話のモデルと合致しなかった。今日出会った会話モデルは問題共有型だった様な気がする。先生も今の学校の問題を共有するものの解決策は求めてないし、認知科学の視点からコメントしたら明らかに的外れな話の構成だった。

こうやって、自分の居心地のいい系に居続けることで、コミュニケーションモデルが知らずと限定され、なんか頑固親父になって行く様な気がした。会話の波の狭間に、適切に適当な間の手を入れられるスキルを学習しないと。性にあわないので難しそう。

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